「プライド」月間に寄せて
(文責は、Kです)
これを書いているのは2023年6月15日。間違いなく、日本のLGBTQIA+コミュニティにとって、悪しき記念日として残る日だ。トランスジェンダーをはじめとする私たちのコミュニティのメンバーたちが「全ての国民」を脅かすかのような条文が、衆参両院を通過してしまった。
「全ての国民」に私たちは入っているのか、そこから疑問だ。
こういうふうに言えば、法案推進派と、それを支持する大勢の人々(重要なことなので注記しておくが、ここにはLGBTQIA+当事者も大勢含まれる。残念ながら)は、こう言うだろう。
「いや、別に全ての国民にも、皆さんは入ってますよ。ただ、マイノリティの権利が無条件に保証されるなんてことがあったら、この法案が『利用』されるかもしれない。それを防ぐためのものなんです」
私たちはどう言い返せばいいだろうか?
そもそも、話が通じていないのだ。条文の文字通りの意味は、この際議論しない。あなたがそれを支持する理由、そこに至るまでに得た情報を、私は問いただしたい。
あなたの言っていることは正しい。正しいからこそ、あなたは発言できている。
それに比べて、私たちの側の言葉にはキレがないかもしれない。事実、私はもう言い返す言葉が何もない。
それでもあなたたちの方が間違っているということは確かなのだ。
私がこういうふうに書く時、見境なく政権批判をしたいだけの典型的な「左翼」であるとか、「批判ばかり」といった言葉が付いてくるのもよくわかっている。その上でこれを書いているということを、よーく考えてほしい。
私は真剣に、あなたが「何も知らないで喋っている」可能性を疑ってかかっている。
あなたは、本当にこの条文について話し合うために最低限必要な情報の全てを知っているだろうか?
——少なくとも、維新・国民案によって付け足されそのまま採決されることになった「全ての国民」留意条項と教育にかんする「家庭」条項は、「バックラッシュ」(反動)という言葉で説明されることの多い政治状況を背景にしているということを、知っているだろうか?
——当事者のリアルを、本当に知っているだろうか?
——「トランスジェンダー」と「性同一性障害」の間に非常に複雑な関係があることを知らないで、トランスジェンダーは全員身体改変が必要だという前提に立ったりしていないだろうか? ねえ、雑すぎない?
あなたは、情報をどこから手に入れたのだろうか?
——TwitterやYahoo Newsからばっかりなんだったら、そもそもこのイシューに限らず、デマが簡単に拡散される場だということを押さえた上で、基本的なネットリテラシーに基づいた使い方をした方がいいですよ。あなたたちがこれをできていないから言っているんですよ。自分はわかってるから、って読み飛ばさずに、自分の心に問い直してください。
——当事者のリアルを知っておく必要、きちんと知識をつける必要があるということはよーくわかっていらっしゃるでしょう、皆さん。でも、いつもあなたたちの情報の片付け方を見ていると、こういう態度が透けて見えます。「色々ある。多様な可能性。少なくとも私たちは学び続けなくてはいけない。」結局、自分の頭を使って真剣に捉えようなんてしていないですよね。自分の頭の限界まで使って、理解しようっていう労力すら使っていないですよね。「理解」という言葉で表されるもののうち、最低限のもので良いのだと考えていますよね。「理解」さえしていれば、って。
あなたは、立法や行政、司法が誤謬をしでかすという可能性を、最初から度外視してはいないか?
——あなたは普段から政治や社会にそこまで信頼や期待を寄せていないタイプの人かもしれない。私たちのように、汗水垂らして時間と金使って政治のこと真剣に考えてる人たちのようにはできないから、私たちのこと馬鹿にしてるのかもしれない。それは屈折した態度であるけど、私はそれを責めたりはしない。でも言いたい、もしあなたが、政治や社会があなたに「くれる」ものをそのまま受け取って生活していて、それで当面はどうにかなっていると思っていても、同じように「受け取る」だけでは反対に自分の生活が危うくなってしまうばかりの人も大勢いるということ。その人たち、つまり私たちにとって、立法や行政や司法は全く安心できる無謬の神様では全くないということ。あなたたちが信じている宗教を、私は信じない。
本来、「マジョリティ」向けに書かれるべき文章とは、こうなのだ。マジョリティの皆さんの理解度に合わせて、細かいところを捨てて、耳聞こえのいいことばかり言って(もちろんそれも非常に大事。学ぶ意欲のあるマジョリティの人たちは、それをありがたがって読みたがるし、「理解」が進むのは事実だろうから)、そういうのではいけない。次のように叫ばなくてはいけないのだ。
お前たちは真剣に考えようとしていない。
「差別禁止」はやりすぎだけど、「理解」は大事だ。「理解」ならしてやろうと言っているお前ら。
「理解」してみろよ。「配慮」してみろよ。
言葉に対する敬意すら、お前らの中にはない。
お前らが散々馬鹿にするから、私たちの間でも使いづらくなった「多様性」も、ちゃんと考えたことあるのか。
そもそもの人間の条件を言っているにすぎないのに。
お前らは現実を何も見ていない。
イデオロギーを優先させて、本質を見ていないのはお前らだ。
最後に。「私たち」の一員であるあなたに向けて。
私はあなたたちを励ますようなことはできないし、たとえばTwitterでそんなことをやれば、すぐあいつらの餌にされるのがとても悔しい。「アカデミアの奴らはあーやって安全地帯で慰め合いをしていて、市井の女性を無視している!」とか、「仲間には優しいくせに」とか、そういうこと言われるんだよ。何でもいいんだと思うよ。
私は、あなたたちが、極めて理性的かつ正当に反撃をしている無数の場面を見てきた。私はそれに励まされもしてきたけど、正直なところ、とてもしんどかった。ああ、これほどまでに言い返せなきゃ生きていけない場所なんだ、ということが心の底からわかるような気がしたから。
私が励まされたのは、あなたが使っていたレトリックや考え方ではなく、あなたの存在そのものだった。私と同じように誤っていることと誤っていると認識し、戦っている人がそこにいるという事実が励ましだった。だから、間違わないでほしい。あなたが戦うのをやめたところで、あなたの存在は変わらないのだから、あなたは私を励まし続ける。
それに、どうせ書くなら、私みたいに書いてみませんか。
私たちは、「理性的に」反論することを求められてもう5年以上になるわけだ。
「モデル・マイノリティ」であれ、という圧力に屈し続けているわけだ。
そうでなきゃ話聞いてもらえないから仕方ないけど、やっぱりそれは限界のある手法だと思うんだわ。
大多数の奴らはまだ何にもわかっていない。
私たちが腹の底で抱えている怒りを受け止める準備すらできていない。
だから、あいつらは反動を起こす。
それで怯んでたまるか。
これから先、パレードができなくなったり、犯罪が今まで以上に私たちに向けられるようになったりして、あなたたちと会える機会は減るかもしれない。
こういう危機的な状況にあるということも、あいつらにはわからない。
でもまだ、話せる環境にあるうちに、徹底的に責任を追及してやろう。
怒りは非常に危険なエネルギーだ。
トランスジェンダーに対するヘイトの多くも、時期が進むにつれて、ヘイト目的ではなく、性暴力や性犯罪、ミソジニーに対する怒りを原動力として動いている人の割合が多くなっているように思う。
私はこの人たちと共に怒っている。
どうしてこの国はいまだに女性が女性であるという理由で殺されても、怒っている側の人を狂人に仕立て上げるのか。訴えがきちんと聞かれないのはどうしてなのか。性暴力という、一人の人間を一生苦しめ続ける暴力の存在が、これほどまでに軽視されるのはどうしてなのか。
しかしこの人たちは、私たちの側をも抑圧者として描写する。そのことには絶対に納得がいかない。
私たちはこうやって、怒りをどこにも表出できないでいる。
怒りがヘイトにも転化する危険なエネルギーであることを心の底から理解している私たちは、怒りそのものを抑圧してきている。
確かに怒りというエネルギーは、出しどころが肝心だ。
傷つけたくない仲間が、そのエネルギーを受けて傷ついてしまうこともある。
怒りというエネルギーは、ますます腫れ物になる。
しかし、怒りというのは非常に理性的なものでもある。
だって、私たちは不当に踏みつけられ続けているのだから。
その現状認識すら誤っているなどと言われ、私たちの認識すら疑わしいものだということにされているのだから。
どこに私たちの語ることができる場所があるのか。
私たちは結局、語ったところで、きちんと聞かれない。
彼らには、私たちの言葉を聞く準備など、全然できていない。
だから私たちは、言葉では伝わらないものを伝えるために怒るのだ。
私たちは、お前を許さない。