東京大学TOPIAのブログ

2023年3月〜。LGBTQ+支援団体である東京大学TOPIAのメンバーが、自由に意見を表明する場です。

「埋没した世界ートランスジェンダーふたりの往復書簡」読書中 〜TOPIA、ZINE出すってよ〜

 

注意

この記事は共有・拡散していただいて構いませんが、文脈を無視した切り取りや引用、スクリーンショットはお断りします。

 

本文

おはよう。こんにちは。こんばんは。まるです。東京大学LGBTQ+支援サークルTOPIAの一メンバーです。本当は、性的マイノリティについてよく知らない人向けの用語解説とかをポップに書こうかなと思っていましたが、ちょっと違うことがどうしても書きたくなったので、変えます。

毎日どこかで、きっと、誰かの敵意に涙し、傷つき、命を落としている。クィア(性的マイノリティのこと)の話をすると、きまってこんな悲しい話をしないといけないのか、と思っている人も当事者の中にはいるかもしれないけれど、それでも上で書いたことは忘れちゃいけないことだと思います。

そしていつの間にかクィアは、「あなた」に分かる物語を話さなければ、とちぢこまるようになってしまいました。いいえ、分かりやすい物語を持つクィアたちを決して否定するつもりはありません。むしろあったほうが色々と楽です。自分にとってもね。だからこそ、明日という現在の「なりゆく/なりゆきの」自分を生きるために、過去を掘り出しては燃やし、未来を積み上げては切り崩すといった、極めてその人にとってのリアルな経験の語りに、私たちは出会うことがなかった。それは紛れもなく、「cis-tem」を始めとする、たくさんの悪しき規範たちが妨げ、虐げてきたことなのでしょう。

分かる。分からない。分かる。分からない。分かったつもりかも。いや、やっぱり分かる。

そんな感情の起伏に振り回されながら、ページを確かにめくりゆく。経験にそっと寄り添いたくなることが、いま心から私が求めていたことなのかもしれない気がしました。

先日「埋没した世界ートランスジェンダーふたりの往復書簡」という本が、明石書店さんから出版されました。私の尊敬する先生たちや先輩たちが軒並み「この本いいよ」と教えてくれる本は、まあまあな確率で明石書店の本です(媚び売ってません)。著者は、五月あかりさん(敬意を込めて、以下あかり)と周司あきらさん(敬意を込めて以下、あきら)です。そういえば、この本を買ったときの特典として、これまたお二人が制作した「トランスジェンダーふたりのZINE」がセットでついてきました。お得なお買い物ができたと思います。イェイ。

他者を理解できた、特にマイノリティを理解できた、と無遠慮に言ってしまいそうになることこそが、自己のマジョリティ性に無自覚であることの証左の一つなのかもしれません。自分が経験してこなかったこと/経験しないでいられたこと、そしてまさに自分が経験してきたこと、それらに誠実に、そしてひたすら丁寧に、じっくりと耳を傾けようとする姿勢(それは決して、かわいそうな「マイノリティ」について知ってあげよう、みたいな傲慢な姿勢などではないもの)こそがこの本を読む上でとても大切にしたくなったことだと感じました。いいえ、むしろ全てに対して生真面目に耳を傾けすぎないことも大切でしたね。決して焦らず、自分のペースで。

届いてほしい人にきっと届いているだろうな、と一読者ながら、めちゃくちゃ偉そうなことを思っています。だって、私のもとにこうして届いてきてくれたのだから。

お二人の、「あなた」のための「嘘」なんかで塗り固めていない、生々しくて具体的で素晴らしく尊い経験を、目の当たりにする準備ができたならば、ぜひ書店にでも行ってこの本を買いましょう。もちろん、準備ができていなくても買ってください(回し者ではないです)。

せっかくなので、もう少しだけ語ります。この本で気になったお話をいくつかご紹介します。

①時間

クィア理論には「Queer Temprality」という概念があります。クィアは時間のお話が大好きです。なぜなら、シスヘテロの皆さんの時間はとてもつまらないからです、多分。言い過ぎました、ごめんなさい。

もう少しきっちりと本音を言うなら、こう言いかえます。「私たち」の時間が思い通りに流れること、それが許されていない気がするからです。誰から? 世間から、です。社会から、です。規範から、です。

著者であるあかりとあきらもそれぞれ違った形で過去と未来を捉え、紛れもない現在、それもしばしばギリギリな状態で、それを生きている気がしました。

この一方向的に流れる、つまらない、そして誰かを死にまで追いやるストレートな時間を「脱臼」させて必死に生きる人たち。そんな彼らの声を聞くこと。その営みに連帯したい。 

心からそう思いました。気になった話、その一です。

(夜のそらさんの以下の記事から引用して、「脱臼」 という言葉を使わせていただきました。

https://note.com/asexualnight/n/n1031d0b54915

②身体

これまた、クィア理論からの言葉。「セックスはつねにすでにジェンダーである」。超有名人、ジュディス・バトラーからの言葉です。意味が全然分からなかったとしても、とりあえずこれを知っていれば、何となくかっこよくなった気がしてきます。

男の身体と女の身体。常に他者からジャッジされます。(私もしてしまいます)。そしてこの時、ジャッジする他者はきっと無意識に、この二者の身体は大きく異なるものだと信じ込んでいることでしょう。本当にそうですか? その信じ込んだ差異は、私を始め、多くの人たちが思っているほどやたらめったらと大きいものなのでしょうか?

そしてその問いはそのまま、ジェンダーについてどう考えるべきなのか、という問いと連続していきます。フェミニズムもたくさん考えてきたことです。改めて考えたくなるお話です。

③性同一性がないことと性同一性が「無」であること

トランスジェンダーの定義をあなたは知っていますか? 「知ってるよ、えっと、体の性と心の性が違う人のことだよね」。違います。いや、合っていると思っている当事者も多分いますが、もっとリアルに見合ったいい説明が考案されています。「出生時割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティが異なっている人」。これが暫定的な定義です。(ジェンダー・モダリティの話をしないと! と筆者は焦っていますが、しません)

それにしても、難しすぎる定義な気がしませんか? ジェンダーアイデンティティってなんでしょう? そして、このお話のタイトル。性同一性がないことと性同一性が「無」であること。一休さんのとんちですか? と言われそうです。

しっかりと本文を読めばきっと分かると思います。私の言っている意味が。

④「好き」はトラブル

お二人の手紙には「好き」が、攪乱的に乱用されています。恋愛・性愛のことにも言及されている証拠です。

男性の「好き」と女性の「好き」って、確かに違う気がしますね。誰が誰に使うかで、ガラッと意味は変わります。男性が使うハートと女性が使うハートも、その使用のハードルの差を時折感じます。あれ、どうにかならないのでしょうか。

 

改めて言います。この本はいい本です。上記の四つのお話以外にも、たくさんの魅力が詰まっています。

本のいいところは、自分のペースで読み進められることです。本が物質として確かに存在することの安心感。「本を読むなら、紙派」を主張する者の意見です。PDFで読む量の方が断然多いですけどね。大学の課題文献とか。

そうそう。TOPIAも近頃、ZINEを出します。私は書いていません(企画者等々の皆さま、なんかごめんなさい)。こちらも良い仕上がりになっているらしいですよ。絶賛、準備中!

(東大)ジェンダー・セクシュアリティ関連の授業が増える!

こんにちは。Kです。3月も下旬に差し掛かり、新学期の準備を始めている人も多いのではないでしょうか。特に新入生は、これからどんな授業に出会えるのかも全く分からず、ツテがなくてどうしていいか分からない、という人もいるはずです。わたしも地方から上京して、今思えば全然知らないことだらけで、損してしまったなと感じることもあります。

実は、今年から注目の授業がたくさん増えていて、すでに授業カタログで見ることができるようになっています。この記事では、現時点で分かる情報をまとめてみました。ぜひ参考にして、拡散してください!

ちょっと自分の話

わたしが入学した2020年度に、十分にLGBTQ+関連の授業が開講されていたかといえば、そんなことはありませんでした。今でこそ大分増えましたが、当時は、マンモス授業で有名な「瀬地山ジェンダー」と「表象文化論」という授業で扱われるのみで、地方から上京して知り合いのいないわたしは、後者については存在すら知りませんでした。「ジェンダー論」も内容は社会学的で、わたしが関心があるのはむしろ、当事者が言葉をどのように使って自分の世界を作るのかとか、政治はどういう状況なのかとか、哲学的にはどういうことが考えられるのか、といったことだったから、全然自分には合っていないと感じました。瀬地山ジェンダー論は半ば性教育のようなものだ、と教授も明言しているし、東大生にそのような場が必要であることは当然だとは思います。しかしながら(というか、だからこそ)瀬地山ジェンダー論はまずもって、非LGBTQ+当事者やシスジェンダー異性愛の男性や女性を対象にしたものであって、当事者はメインの聞き手ではありません。わたしは単純に「履修する必要がない」と判断しました。

ちなみに、もう一つの授業「表象文化論」を担当している清水晶子先生は、クィアやLGBTQ+当事者の学生こそを聞き手として想定して授業を設計している、と明言しています。入学当初に存在を知っていたらどれだけいいか、と思います。

増加したジェンダーセクシュアリティ関連授業の紹介

以下は、前期課程(1,2年生向け)で開講されている授業の話です。

  • 2020年度まで:2本体制。
    • ジェンダー論(瀬地山)表象文化論(清水)のみ。瀬地山ジェンダー論は毎年500人を超えるマンモス講義。表象文化論は、クィア理論についてのグループディスカッションの授業。グループの中で当事者が嫌な思いをしてしまうこともあるし、負担も大きめの授業だが、人気。それぞれSセメスター、Aセメスターの開講で、どちらも水曜5限。
  • 2021年度〜:4本体制。
  • 2023年度〜:未だ正式なシラバスが出ている段階ではなく、「授業カタログ」からわかることから把握しただけだが、大幅に増加。増えた授業は以下。
    • 性の政治Ⅰ・Ⅱ
      • Sセメスターでは羽生有希先生が開講。クィア理論の流れを概観するようで、後期課程で(しかも英語で)しか学べなかった内容が、学部1・2年生にも開かれるようになる。バトラーセジウィックといった有名な理論家・批評家を読むだけではなく、新自由主義批判人種ナショナリズム障害学との関連も扱うみたい。注目は、セクシュアリティにも丸々一回分が割かれていること。
      • まだ「性の政治Ⅰ」しか情報が出ていないが、科目名からしておそらくAセメスターに「性の政治Ⅱ」が開講されるのではないかと予測。
    • 性と身体Ⅰ・Ⅱ
      • Sセメスターでは野澤淳史先生担当。「障害の社会モデル」など障害学の内容が主で、かつて前期課程の科目で学ぶとしたら市野川先生の社会Ⅰくらいしかなかったような内容である、優生思想水俣病といった内容にも触れる。ヴィーガニズム(おそらく)スポーツの話題もあるようだし、クィアとの関連では「クリップ」も扱うよう。
    • 人種とジェンダー
      • 福永玄弥先生が担当。「東アジアにおけるレイシズムと〈ヘテロ〉セクシズム」という題目で開講されていて、ここ日本にも色濃く残る人種差別・民族差別をトランスナショナルな視点で考え、東アジア地域における国際比較を行うようです。「〈ヘテロ〉セクシズム」はおそらく竹村和子の用語なのでは?と推測。竹村和子はもう亡くなってから10年以上経ってしまっているけれど、日本のクィア批評の金字塔。
    • フェミニズム科学論
      • 飯田麻結先生。ダナ・ハラウェイを筆頭に、フェミニズム科学論に分類される著作で重要なものはめちゃくちゃたくさんあるのに、前期後期通じてあまり扱う授業がないのはずっと不満だった。やっとド直球の科目ができて、歓喜する人は後期課程にも多いんじゃないかな。不満は、水曜5限という超過密曜限の開講であること(大体この曜限に取りたい授業が集中するのが、東大文系あるあるだと思います)。
    • 全学自由研究ゼミナールでも、以下の科目が開講。
    • 結論:普通に後期課程の学生でも履修したいし、今年の新入生が心から羨ましい。

注目の授業を時間割に!

TOPIA内のメンバーが個人で作成した時間割表です。参考にしてください!(ちなみに月曜に二つ、上で紹介していない授業が入っていますが、おすすめのものです)

TOPIAでは、新入生向けに相談会も計画予定です。5月からは勉強会も新規スタートしますし、興味をお持ちの方はお気軽にご連絡を。